2010年12月15日

10年分を一日で駆け抜けるということ。〜「100歳の少年と12通の手紙」〜

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余命いくばくもない白血病の少年が
病院の廊下でショッキングピンクのスーツに身をつつんだ
おばさんとぶつかる。
それこそ相手が子供で病人であっても
どこ見てんのよとくってかかるローズに少年オスカーは
とってもうれしそうな顔をする。

あの人としかしゃべりたくない。

かくして心を閉ざした少年をなんとかしなくてはと担当医の先生は
ローズの宅配ピザを買うかわりに
オスカーのところへ顔をだしてくれないかと頼む。
最初はしぶしぶの交換条件だった、でも・・・。
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コレは、オスカーがローズに出会うことによって
12日で120年分の人生を生きた奇跡の物語。
愛なんて信じない、ボランティアなんか大嫌いといっていたローズもまた
彼とのかかわりをとおしてどんどん変わっていく様子が
こちらからみてとてもとても優しい気持ちになりました。




人はどこで誰と出会うかわからない。
もしかしたら
すれちがってそれだけで終わってしまうだけだったはずのひとにも
どこか運命のようなものがあって
それをつかまえることができれば、
昨日までの他人は自分の人生にとって必然なひとになるのかもしれない。

どんな出会いにも
そのタイミングでめぐり会うことに
何らかの意味があるのかもしれない。
そんなことを思わせてくれる作品でした。
それはとてもとても人生を豊かにしてくれると。


自分の子供に骨髄移植が失敗したことが言えなくて
病院に来てもオスカーの顔が見れなくて見舞いに行かずに
帰ってしまう両親、
いたずらをしても笑っても怒ってもくれない
院内学級の先生や看護婦さんたち。

その人らの痛みをわからないのは
子供だから仕方のないこと。


それでもそんなふうに腫物に触る扱いやホントのことを言うてくれない
苛立ちや不安の中で
歯に衣着せないローズは
何ひとつウソをつかないし、子供扱いもしない。
不治の病は罰なんかじゃないとオスカーをさとす。
強敵を倒してきたプロレスラーの話をしながら
目の前の困難に立ち向かう強さをオスカーに伝えていくなかで
彼女もまた自分自身と向き合っていく。


ひとはひとと関わるとき
きっと与えるだけじゃなくて
何かを感じ、考え、自分のものにしていく。
ローズにとってもオスカーとの出会いは
貴重でかけがえのない12日間だったと思うんだ・・・。

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口は悪いけど、心はあったかくて優しくて
オスカーを一人前の男として対等にあつかう彼女は
言葉がうまくみつからないんだけど
とっても素敵でした。
親だから、医者だから、彼に言えない気遣いとか思いやりとかも
もちろんあるんだけど
オスカーがどんなふうに自分と向き合ってほしかったのか
その願い通りの接し方をしてくれたのは彼女だったわけで。

毎日1通、10年分年を取ったときの自分になりきって
神様への手紙を書く。
一日ひとつ願いごとを書くかわりに
毎日その日の出来事を書く。
たとえばキス、たとえば告白、たとえば別れ。
まだ子供なのに結婚だの浮気だのとつづるそれはほほえましくも
一生懸命。
そして神様なんか信じなかった彼が神の存在を悟るところまでいくんだ。


私は自分の年齢に見合った中身になってるだろうか?

そんな反省も含めて
これはかなり心にずっしりくる話でした。
今年最後の号泣映画だったかな・・・
お涙ちょうだいの難病ものというんじゃなくて
ローズとオスカーの物語として。
誰かにとってこんなひとでありたい。


人は人と出会うことでいくらでも変われるし
多くを学べるんだって。


posted by Ageha at 00:16| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画、DVD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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