
「まだ、怒ってる?」
「笑ってます!」
・・・・・気がつけよ、アホ。
以上。
いやいやいやいやいや・・・
そういう話ではありませんでしたね〜。(笑)

まだ当時タブーだった脳死肝移植に取り組んだ医師の物語。
・・・ってまあ簡単に言うてしまいましたけど、
設備の整った大学病院にいたって、
「ジェネラルルージュの凱旋」で登場した速水医師みたく
それでもまだ足りないものをなんとかしようとして
ひとりヒールを演じるひともいるし
一人の医師がそれなりの腕をもっていたとしても
いかんせん必要な道具とスタッフが足りない小さな病院では
今度は助けたくても助けられなかったりする。
「孤高のメス」では
置かれた環境でベストを尽くす当麻医師の奮闘ぶりが
描かれる。わざわざこういうところを選んで
やって来たかのようなお医者さんでね・・・・・。

話は母の遺した日記を
医師となった息子が読む形で当時を回想していく。
夏川結衣演じる中村看護士からみた当麻鉄彦という形で
堤真一が登場するんだけど、
なんていうか、
熱血ではないけれど、内に秘めた思いは熱い、
目の前に救いたいひとがいて、
自分にそれが出来るならなんとしても助けたい、
もうホントそれだけなんですね。
ところが医師にとって当たり前のその感情が
他の人には案外そうでもなかったり
それが出来なかったりっていう現状があったり、
モラルの問題だったり、
根本的に人間の問題だったりして
ただ助けたいだけという思いが
なかなかコレうまくいかなかったりするのね。

脳死・・・うけいれられますか?
まして、ドナー提供できますか?母として。
まだあたたかい、心臓の鼓動もある
それでも死んでいると誰が納得できますか?
もしかして明日には助かる方法があるかもしれないと
バカだけど、未練だけど
そう思っちゃうでしょ?
だもんで、正直
「使ってください」と頭さげるとこまで
ワタシはできないな〜・・・
話出来すぎてるな〜って気はしたんですけどね。
技術云々の前にホントはこの部分が一番
クリアしがたいハードル。
でもそれ言うてしまうと話が進まないのな。
ある意味話がうますぎる気はしたんだけど
映画だし、言いたいとこはそこじゃないんで、
そこひっかかると先に進まない。
それよりも何よりも
ひとりの命のために医師やめなきゃいけないかもしれない
それでもするのかって言われて
目の前の命を救えるのにそれをしない事自体が
ありえないから、そうするくらいならメスを置くって
その心意気・・・を描きたかったのでしょうね、多分。
ああ、最初に書いた恋愛云々は実際この映画の中では
大きな意味はありません。
ただ、あまりに鈍感なその天然ぶりは
当麻医師をすごく身近なもの、好ましいものに
見せる役割を十分果たしていたような気がします。
・・・手術室で大音響のアンコ椿・・・はないよな〜って
思うけどね。(爆)
クラシックは眠くなる、ロックはメスが暴れる、
でも演歌ってどうなん?????
日本の宝だよとまで言うてましたね。都はるみのこと。
ええ宣伝になったんちゃう?(あ〜またそういう言い方・・・)