
ワタシはトトロかドラえもんみたいなもんを最初想像し、
もしくはヨシオを困らせるイタズラ大好きお化けを想像してたんですが。
もっと楽しくてしっちゃかめっちゃかなコメディを
あてにしてたんですが、
なんてシリアスなんだ。びっくりでした。
切ない気持ちが作り出したいけちゃんの正体には
ホンマ涙します。
しっかし。
チラシやポスターでネタバレしすぎちゃうん?
冒頭、ヨシオが海で溺れてるのに気がつきもしない父母。
やっとのことで生還した子供をほったらかして
夫婦喧嘩の果てに母は先に帰ってしまい、
父も機嫌とりに行ってしまう。
しかも子供の台詞が
「世界は僕が死のうが生きようが変わらないんだ」
9歳の子供が言うか?
いきなりドン引きでした。
序盤戦はきつかったですね〜。気持ちどう修復しようか
大変でした。
さらに質問。
小豆洗いは必要かい???
絵本の1ページに書かれたメッセージは
その中で完結してるエピソードで
それがきっといくつもあったのでしょうが、
(すいません、未見です)
それをいくつもいくつもつなげるには
あまりにもその流れが不自然で、
一つ一つが面白くても絵がつながらない、
そこがすごく惜しかったですね。
尺を引き伸ばすのに失敗したというよりは
プチプチ切れてる感が否めなかったかなと。
あともうひとつどうも気になってしまったのは
シャンプーするときに目をつぶるのもコワイ、
トイレも一人で行けない、一人で眠れないそんな子供なのに
妙に台詞が大人っぽくて
なんか不自然な感じが抜けませんでした。
子供のひ弱さも残酷さも持ち合わせていながら
「子供らしくない」ヨシオくんの思考。
ヨシオくんが立ち向かってくいじめっ子は
子供社会の厳しさであり、これから先も行く手を阻む
大きな壁のたとえでもあります。しかも上には上がある。
でも、あまりに殴られるシーンを繰り返されると
正直きつかったです。
現実にいじめられてる子供たちは
もっともっとそんな毎日を繰り返してるかもしれませんが
目をそむけずに映像にしたとはいえ、
そのリフレインはちょっとうんざりでした。
誰も助けてくれない、自分で乗り越えるしかない、
そうやって男の子は成長していくのかもしれませんが・・・。
野球対決のオチはちょっとできすぎ?
でもそこ否定するといつまでも重たい話になるしな〜・・・
たったひと夏であっという間に男の子が少年に変わる。
急にたくましくなり、顔つきが変わる。
そうやって不思議な存在はだんだん見えなくなってしまう。
トモダチがいなかったときのヨシオくんならともかく
仲間が増え、やがては恋もし、
いけちゃんを忘れてる時間が増え、
とうとう消えてしまう。
なんていうか、世の中辛いこといくらでもあるでっていう
そういうもんをやたらつきつけてくるし、
それも学んでいくはずの子供がすでに
心の中ではそれをしっかり悟っていて
後は実践のみってのはどうも・・・。できすぎてません?
むりやり言わせてません???

そんな作品でも
なんでいけちゃんがヨシオくんのそばにいたのか
その1点においてもう無性に泣けちゃいました。
何も介入できない、でも何かしてあげたい、
だけど甘やかしもしないいけちゃんに思いっきり
切なくなりました・・・。このへんって
どちらかというとお母さんに近い見守り方なんで
ヨシオくんのお母さんにも
その存在がバレちゃったのかもしれませんね。
あ〜アレだけ涙したのにどうも否定的なのはなぜ???
殴りすぎってありますが、私はその中でも船の櫂で殴るのは「そりゃ死ぬぞ!」って思いましたね。でもそこはりえぞーセンセのテイストなのかなと。
多分この作品ってヨシオの成長物語として観てしまうとアラが目立つんだと思うですよ。あくまでもいけちゃんとヨシオの時空を越えたラブストーリーなんじゃないかなって。
その設定そのものがすでにもう現実ではないんで、そう考えると数々のご都合主義もいけちゃんの想いからしたらそれでいいのかなって思ったりもします。(笑)
う〜ん、うちは娘なんで
男の子がどんな風に育ってくものなのか
そのへんはようわかりません。
ただ、それにしたって
頭に石をぶつけたり、船の櫂で殴ったり
さらにボコボコに殴る蹴るしてるわけですから
よく死ななかったなって
やっぱりそう思っちゃうんですよ。
細かいことばっか言うてすいません。
でも結局口や理屈じゃなくって
ぶつかって乗り越えてくもの、
どうかすると殴り合って初めてわかるもの、
で、説得するんじゃなくて行動で示すもの、
なんかそういうことを野球ネタの中で
随分もりこんでましたが、
今の子供たちだったら
ひとつ間違えりゃネット中傷だとか
代理でいじめてもらうとか
なんていうかこんなさわやかなケンカの仕方も
知らないでとにかく
暴力はダメ・・・だけがあって
う〜ん、難しいだろうな、こんな風に
仲良くなろうってのは。
で、いけちゃんってのはこういうとき
その世界に入れなくてほったらかしなわけです。
介入できないってのもあるんですが
目の前のことにいっぱいいっぱいな時
いけちゃんのことを「忘れてる」
で、ふっと思い出したように
慰めたり励ましたりしてくれることを期待してる。
そしてそういう壁をひとつひとつクリアしていく中で
いけちゃんが見えなくなるというよりは
「いらなくなっていく」
でも消えちゃうのはいやだ。
この辺もなんていうか切なかったです・・・。
ヨシオ君はえらくませた少年でしたよね。ひょっとしたら、自分だけの現実であるいけちゃんの存在が、子供に現実と空想の境界を否応なく押し付けたのかもしれませんね。
ヨシオ同様、子供向けの絵本が原作とは思えないくらいませた物語でしたが、それでもしっかり「絵本」をしてたのが良かったです。いけちゃん可愛い(笑)。
子供むけの絵本・・・て外見上も
本を扱ううちらのジャンルわけでも
一応は児童書なんですが、
そこに書かれた内容に深く感銘したり
ちゃんとメッセージが受け取れるのは
もっともっと大きくなってからちゃう?っていう
内容ですね。ワタシの感想では・・・。
しっかり「絵本」してたのは確かに
いけちゃんという不思議で切ない存在のおかげ。
根底に西原さんの壮絶な人生があって
そのなかで彼女が見てきた感じてきたことが
そのまんま台詞の後ろに見え隠れするから
ヨシオの台詞でしゃべってるけど
子供の言う台詞じゃない・・・コレも
ワタシの感じたイメージですが・・・。