プロジェリアという病気にしては
最高齢だったというけれど。
17歳。ホントなら人生これからじゃん・・・。
バイト先がバイト先だけに
頼んだつもりもないのに、今日見たら
本がいっぱい並んでて
・・・なんだか絶句した。
そっか売れるんだな。
そんなふうにしか思えなかった。
今までにもそうやって訃報が流れるたびに
こういうこと繰り返して心のどこかで
いやだいやだって思ってた。
やっと少し気持ち落ち着いたかな。
プロジェリアっていう病気でさえも
神様がくれた贈り物だという。
倍速で年老いていくその病でさえうけとめる強さはきっと
人の倍早く成長して、同じ年の子供たちよりも
達観しちゃったってことなんだろうか?
逃げられない運命と向き合って
今ある現状のなかで精一杯出来ることをするしかなくて
そのなかで辛い、苦しいこといっぱいあっただろうに。
テレビの取材だって楽しいことばっかりじゃなかったろうに。
彼女にしかわからない苦しみもあった代わりに
彼女でなければ体験できなかったことや
喜びもそこにあったと思いたい。
少なくとも限られた時間の中で
彼女はずっと前向きでいたし、
自分を哀れむこともなかった。
闘病記というのは涙が出るばかりで
なんかそういうの苦手なんですけど。
ただ、いつも思うのは
アシュリーちゃんに限らず、もっと小さな子供でも
人に感謝することを忘れなかったり、
自分よりも自分を愛してくれたひとを気遣ったり。
やりたかったこと、やり残したこと、
それは命のともし火が消える瞬間にはもうどうでもよくて
ただ、ここまでがんばったよな、生きたよなって
人は生きた時間の長さに関係なく
こんなにも自分を補完できるもんなんでしょうか?
誰かの人生がそのまま誰かの勇気になる。
まだ何も出来ないでいる自分への叱咤激励になる。
そう思えば、彼女のドキュメント映像も
彼女のお母さんが書いた本も
ひとりでもたくさんの人の目に触れてほしい。
そう思えば、本を手にとってくれる事も
前ほど抵抗感はなくなった・・・かな。
簡単に人や自分の命失うようなことしないでほしい。
少なくとも生きて元気でいることは
無限の可能性がそこにあるはずだから。
自分が使いこなせていないだけで。
・・・・なんてガラにもないこと言っております。
ご冥福をお祈りします・・・ってフツーは書くんだろうけど
お疲れ様、偉かったねって。