
是枝監督がデビュー10周年のCoccoのライブツアーに
同伴するかたちで撮られたドキュメンタリー。
これを果たして映画と呼んでいいのかは
わからない。
・・おそらくはCoccoのファンのための
お宝映像であるからして、
万人ウケはしないかもしれない。
そもそも見る気になるかどうかは。
ムショウに涙がこぼれた。・・と最初に書いとこう。
その歌が別に哀しいわけではなく、
伸びのある声は、風のように、波のように
す〜っと心にしみこんでくる。
歌を聴いて涙がこぼれたのは久しぶりだ。

この写真は、彼女が
読み終わったファンレターを砂浜で燃やしてるシーン。
それだけじゃなく、いきなりハサミとりだして
自分の髪をジョキジョキ切って炎のなかへ入れてた。
何に対してかはわからないが自分なりの決着をつけ
また新しい旅へと出て行くのだ・・・。
「大丈夫って言えないけど、大丈夫であるようにって思ってる。」
実は自分で自分に言い聞かせてるんじゃないかと
思う言葉たちだからこそ
人はすんなり共感するのかもしれない。
上から目線で何かを乗り越えたひとの台詞じゃなくて
笑いながら泣きながら
今も迷いながら歩いている彼女の言葉だからこそ
それは大きな意味を持つような気がした。
にしても、ライブで彼女があんなにいっぱいしゃべってるとは
思わなかった。知らなかった。
・・・それでも自分の無力さに
ラストライブが終わったあとの楽屋で号泣するのだ。
追い詰めないで、がんばりすぎないで。
伝えたい思いの強さが彼女の強さにも見える反面で
ちょっとしたことでポキッと折れてしまいそうな
あまりにも強い感受性は
彼女がどこまでも抱えていくであろう危うさを秘めている。
東京で歌番組に出てるときの彼女は
どうしてもまわりに溶け込めずに居心地悪そうにしてて
普段の彼女みたくしゃべれないまま
テレビに映ってる時間が過ぎていく。
そして何曲か知ってる過去の歌は
どこか危なげなものばかりだったから
私は彼女をおおいに誤解していた。
繊細ゆえに心の触れ幅の激しいひとだけど
目指す願いが強く大きく困難だからこそ
泣きながら、叫びながら、それでも歌い続ける。
彼女の歌のタイトルではないが、
”強く儚い”ひとなのかもしれない。
彼女から「生きろ!」という叫びを聞くとは
思わなかった。

写真集の発売イベントで来場客に書いてもらった短冊を
沖縄のライヴでステージに飾ったあと
米海軍基地建設予定地の浜に、飾った。
ジュゴンの帰ってきた海を守りたいからこその
ささやかな反対運動。
・・・ただ、このあと心無い誰かによって
短冊は燃やされてしまった。(エンドロールにて)
沖縄は米軍基地と共存して生きてきたし、今もそう。
彼女よりも上の世代は受け入れあきらめ
それでも笑って生きていこうとしてる。
で、彼女はというと歌で世界を少しでも変えていこうとしてる。
沖縄が好きだから。
ここより快適な、どんなところへ行ったとしても
自分にとってここがイチバンだと思うから。
青森の六ヶ所村、広島の原爆ドーム、
神戸の震災慰霊碑、
オトナになって初めて知った、
沖縄以外にも傷をかかえた街があるということ。
今回のフィルムはこういう場所でのライブを
中心に回してたけど
文字通りそこに歌の花を献花しては次の街へ旅立っていく。
ジュゴンの見える丘で語ってた、
「もののけ姫」鑑賞エピソード。
みんながどうしよう?!って真剣に考えるには
一度ホントに徹底的に壊さなきゃいけないんだと、
気持ち真っ暗になるくらいとことん破壊しろと。
芽が出て花さいてハッピーエンドになってしもたら
どんだけ大きな問題提起をしても
誰かが何とかしてくれる、
あるいはほっといてもなんとかなる、
ひとごとで終わってしまう、
こんな映画はダメだとそりゃもう激しくツッコミいれてて。
で、同じ映画を子供がどうしても見たいというので
再び鑑賞したんだけど、そのときには・・・
今の時代がどんなでも
キミのいるところはすばらしい世界だと言いたいと。
未来を希望をみせてやりたいと。
同じシーンでお願いだから花咲いてくれと
祈ってる自分がいて
ああよかったと思う自分がいたと。
ライブのリハで息子さんと思しき子供が
ドラムをたたいていました。
彼の目にはCoccoはどんなふうに映っているんでしょう。
怒りも悲しみも透き通る歌声に変えて
美しさも醜さもすべて受け入れて、
祈りながら歌いながら彼女はこれからも生きていく。
その声に癒されながらも
心のどこかで彼女の無事を祈る自分がいた。
文字通り大丈夫であるようにと・・・。